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あたたの知らない京都旅 1200年の物語
2024/02/15(木) 21:00〜 BS朝日
「秀吉の正室ねね 波乱の人生」
今年は、豊臣秀吉の正室であり、豊臣政権の陰の立役者である
呼ばれる「ねね」の没後400年。
賀来千香子さんが、ねねが晩年を過ごした京都ゆかりの地を巡り
ながら、彼女の波乱の人生に迫る。
ねねの青春時代。
秀吉とねねが結婚する際に、2人の間を取り持ったのが、大親友
である「(まつ」の存在。
「まつ」ゆかりの寺院、大徳寺塔頭、芳春院を訪れる。
身分が低い秀吉とねねの間の結婚に周囲は反対したが、結婚の
間を取り持った一人はまつであった。
二人は戦国武将の妻同士で、長い友人関係を保った。
ねねと共にも眺めたと伝わる呑湖閣や、まつが眠る墓も拝見。
まつの没後も、ねねはここを訪れていたに違いない。
次は、秀吉が天下統一し、夫婦で迎えた人生の絶頂期に襲った
悲劇について探るため訪ねたのは「智積院」。
息子の鶴松を三才で亡くして深く悲しんだ二人。
国宝(松に秋草図:画)の障壁画が伝える、秀吉の深い悲しみが
込められている。
さらに思いを馳せるのは、ねねのたくましき姿。
ねねが「戦国時代のグレートマザー」と呼ばれる所は、育ての親
としての器。
鶴松以外にも多くの養子・養女として育て、有名な存在となる者
が続く。
更に秀吉の死後、晩年の19年間を過ごした場所、高台寺の塔頭
である「圓徳院」へ。
ここでは、当時のねねが、いかに周囲の人に慕われていたかが
分かると言います。
まず見せて頂いたのは、秀吉の念持仏と伝わる「三面大黒天」。
さらに、都を代表する圓徳院の「北庭」へ。
ねねが晩年暮らした伏見城を模したというこの庭である。
高台寺は、秀吉の菩提を弔うために、ねねが創建したもの。
特別に、秀吉とねねが眠る霊屋の中へ。
ねねは豊臣家を滅ぼした徳川家とも良好な関係があり、それは
豊臣秀吉の名誉を守るためでもあった。
ねねの人生は激動だったが、面白かった、これだけの事をやりぬいた
大変だったけど…と思っていた??の賀来さん談。
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