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あたたの知らない京都旅 1200年の物語

2023/12/07(木) 21:00〜  BS朝日
 「南禅寺 都で一番の禅寺に迫る」




 紅葉の名所として名高い南禅寺。
 実は禅寺の格付けの制度において「京都五山」が決められ、その頂点に
 君臨している。
 南禅寺はじまりの場所である南禅院を訪れる。
 中に祀られているのは、天皇の地位を譲り、出家し法皇となった亀山上皇。
 南禅寺を五山の一位へと押し上げたキーパーソンです。
 上皇は、朝廷が南北に分裂する皇位争いや、元寇の到来で侵攻される等、
 国難に直面する。
 その際、神にすがるのでなく、自らを禅に基づいた修行を行う事で、危機を
 乗り越え世の安寧を求めていた。
 そこで、勅願寺として南禅寺を創建し、出家したのだ

 又、その格を維持しているのは、創建時に決めた厳しい決まり。
 それは、住持は血縁に捕らわれず、優秀なものを選べ!!と言うもので、
 現在は342世となる。

 南禅寺の象徴・三門の楼上内陣には、「南禅寺中興の祖」と呼ばれた住持
 である以心崇伝の姿がある。
 崇伝は37歳という若さで南禅寺の住持に抜擢され、家康のブレーンにも
 登用され、江戸幕府をも動かす存在であった。
 そんな崇伝が御所から移築させた国宝の方丈には、代々の名将に仕えた
 絵師・狩野永徳の障壁画がある。

 さらに永徳の孫、狩野探幽の最高傑作とも言われる「虎の間 群寅図」の
 障壁画も拝見して、賀来さんは感動する。

 一方、境内でひときわ存在感を放つ水路閣はレンガ造り水道橋で、敷地を
 ぶち抜いている。
 最高峰の禅寺には不釣り合いなこの近代的な橋は、琵琶湖から京都へ
 水を引き、京都発展の為に、水路の物流の発展や発電目的に使われる。
 違和感がある光景の理由は、本来は効率の面では亀山天皇の分骨所を
 通す方が良かったが、それは恐れ多いとの判断で境内を通す事になった。
 この水路の計画には、賀来さんの祖先である南一郎も絡んでいる。
 建設に関して、福沢諭吉が異議を唱えともある。
 しかし、今では京都観光の風物詩の一つでもある。

 参道では、京都で沸いた清らかな水を使った豆腐を用いた湯豆腐料理に
 舌鼓をうつ。
 これは、お寺の精進料理にも使われている豆腐である。





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