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あいつ今何してる?

2020/12/16(水) 18:45〜  テレビ朝日

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   


 東京都世田谷区育ちの賀来千香子さんは、水彩画が趣味であった
 祖父の影響もあり、女子美術大学付属高等学校・中学校に進学。
 (創立100年を超える、日本で最も歴史ある市立の美術大学の付属校)
 全ての授業は美術に繋がると、ハイレベルな独自の授業を進めている。

 その中でも賀来さんと同級生の中でも「別格」な才能やセンスを持つのが
 四田絵美子さん。
 浜松在住の今は何をしている?
 26歳で結婚して浜松に来て、子供は二人とも社会人に。
 今はご主人と二人で暮らしている。
 祖父・父共に日本画家の家系。
 幼少期に興味を持ったのは、絵でなく音楽に興味を持ちバイオリンを4歳
 から始めていたので、指を怪我してはいけないので、球技は一切やっちゃ
 ダメ(体育系の賀来さんとは真逆)。
 バイオリンに全てをささげる生活で、全国コンクール入賞。
 音楽の名門 桐朋学園に見事合格。
 しかし、合格発表の一週間後に突発性難聴の病で、右側の聴力を失う。
 茫然自失の状態で、音楽学校での継続は無理で学校は中退し、ショック
 で自宅へ閉じこもる日々。
 心配した御両親が、御茶の水美術学院(芸大・美大の予備校)に入学を
 させ、そこで初めて絵の世界に触れる。
 絵の世界に触れた事の無い四田さんであったが、御両親見立てのとおり、
 才能が開花し、絵を描くことに没頭していく。
 その後、女子美の高校へ進み賀来さんと出会う。

 教室の中で一層際立つキラキラゾーンの中心にいたのが賀来さん。
 体育祭で選手宣誓したり、バトミントンでスマッシュしたりすると、賀来さん
 の周りには花弁が舞う、綺麗な生き物を見たなぁ…と、四田さんは感じた。
 但し、最初は誰でも賀来さんの美しい容姿に魅了されるが、ひょうきんな
 一面もあり、ブルースリーが好きでヌンチャクを振り回しながら、バラの
 花びらは散っているという感じ。
 バスの中で志村けんの真似したり…と、今と異なる一面も

 賀来さんは高校1年で、原宿でスカウトされる。
 高校卒業後、女子美術短期大学に進学、18歳でJJモデルデビュー。

 一方、四田さんは女子美術大学へ進学し、日本画を専攻するが、何故
 安易に日本画を選んだのか?
 本当に絵が好きなのか?親を心配させまいとしたのか分からなくなり描く
 情熱に陰りが。コンクールへ応募するも落選が続く。
 26歳で現在の旦那さんと知り合い、浜松へ移住。
 新しい生活で大変で、主婦・母さん・奥さんを演じで何が悪いとか、激動の
 人生の前半戦はこの生活をするためにあったのかと自問自答したり、
 日々の生活にかまけて深く考えることは避け、絵を描くことから逃げる
 生活であった。
 子育てが新たなやりがいになり、子育ての楽しみに集中する生活だったが、
 三十代半ばに再び人生が動き始める。

 バラや植物を題材に描く、日本画家として活動。
 高い芸術センスを生かし、ホテルや美術館の絵画や、寺の障壁画を依頼
 される人気画家として活躍。
 長いスランプに陥っていたが、全く描くのを辞めた訳ではなく、三十代は
 日本画でない児童書の挿絵を描いたり、ガーデニングでバラ栽培を
 楽しんでいたら描いてみたいと情熱がよみがえり、47歳で大手化粧品
 メーカーのカレンダー向けに描いた花のイラストが注目を集め、現在では
 全国の百貨店やギャラリー等で個展を開く人気ぶり。

 メッセージVTRを見て、こんなに賀来さんの記憶があるとは…全く思って
 いなかった、嬉しいかぎり。
 四田さんが賀来さんをこんなに思っている事を、賀来さんは存じていない
 と思う。
 JJのモデルになって、表紙になって、それから女優デビューしてハラハラ
 して観ていた。
 「白き牡丹に」の放映初日に、セリフを言って、はぁ〜言えたぁ〜と安堵。
 それから暫くは、ハラハラして観ていた。
 でもその内に代表作に次々出演されて、どんどん遠い存在になっていった
 けど、一度賀来さんが浜松駅前の百貨店にサイン会でいらした事がある。
 チラシでその事をしり、合いたい!と思ったが、見つけた時刻がかなり遅く、
 終わって帰られた後だった。
 これで四田さんと賀来さんの人生が交差することはないと思っていた。
 だから今回賀来さんから、声をかけて頂いた事が何よりも嬉しかった。
 賀来さんの存在は私たちの誇り、自慢です。
 賀来さんへのメッセージ
 「賀来さん、今回はテレビ局から、賀来さんが私の事を知りたがっていると
  聞いて、本当にビックリしました!!
  久しぶりに40何年前の付属時代の事を思い出したり、賀来さん事を
  沢山お話できて、今日はちょっと口角が上がった様な気がします。
  私の夢は、いつか賀来さんに私が書いた金箔のバラの屏風の前で
  ポートレートの写真を撮影していただけたらなって思ってます。
  これからもますます輝いて、御活躍下さい!!」

 賀来さん、ビックリ! こんな風にずっと応援して頂いていたなんて。
 感激と嬉しさに涙。


 続けての同級生はバトミントン部で一緒だった「長井麻美さん」。
 明るいキャラクターで、背が高くドーンと大きく「ゴン」というニックネームを
 付けていた。
 この人も四田さんと同じくらい絵がうまかった。
 今は学校近くの杉並区に住んでいる。
 番組でお馴染みの特別調査員「はいだしょうこ」ねぇさんが、阿佐ヶ谷駅
 に向かう。
 ゴンさんは同級生からガタイの良さから付けられたニックネームであるが、
 すぐに同級生の間に広がり、悪乗りした賀来さんが
 葉書の宛先に悪乗りした賀来さんまで「長井ゴン様」と書き届く始末。

 永井さんは、賀来さんの隣のクラスであったが、賀来さんがバトミントンの
 短いスケートを履いてラケットを持って登場し、バトミントン部に入らない?
 と乱入し、勧誘して去っていった。
 それが初めての出会いで、あまりにも可愛らしくバカらしく衝撃的であった。
 あんなかわいい子と一緒にバトミントン出来ると一目ぼれし、不純な動機で
 バトミントン部に入った。
 賀来さんはみんなから好かれていて、クラスだけじゃなく学年全体から。
 女子高であるが、バレンタインーには(女性から)一番チョコレートをもらう
 人気ぶりだった。
 永井さんはその後、公立学校の先生として勤務後、ドイツに5年間留学し、
 ドイツのシュタイナー教育を学び、帰国後、横浜でシュタイナーの学園を
 開校している。

 更に、賀来さんとバトミントン部時代にダブルスを組んだ”おきょん”こと
 大参京子さんも登場。
 (大参さんは、絵手紙の講師として体験教室を開いている)
 VTRを見て当時を振り返るが、実態を知る同士手厳しく、賀来さんが
 描いた絵は残念な気がしたと毒舌。
 更に賀来さんは小学校時代からスカウトされていて、手一杯の名刺が
 溜っていたことも暴露する。

 賀来さんデビュー時、テレビにかぶりついて観て、ハラハラドキドキ。
 身内の様な感じ、家族みたいな感じ。
 高校時代から見せていた人付き合いの良さ、人への配慮、思いやり等、
 芸能界の様なそれが求められる世界において、身に付けている人が成功
 するかな…と思っていた、それを彼女は元々備えているから。

 二人が繋がっている事も嬉しいですし、私の事を思っていることも嬉しい
 と賀来さん。





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